6月の晦日は、夏越の祓・大祓です


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外出の際は喉が乾く前に水分補給を行ってくださいね。

6月ももうすぐ終わりです。週末の晦日は「夏越の祓(なごしのはらえ)」があります。
はて、そんな行事はあったかな?と思った方、神社にお詣りに行った際に、境内に人が通れるくらいに大きなワラのような植物で出来た輪っかを見たことはありませんか?

あの大きな輪っかは、茅の輪(ちのわ)と呼びます。茅の輪とは茅(ちがや)という植物を束ねて輪っか状にしたものです。1月1日のお正月から6月までの半年間の罪や穢(けがれ)を祓う夏越しの祓えという神事に使用されます。これをくぐることにより、疫病や罪穢が祓われるといわれ、この後の半年間の健康や厄除けをご祈願します。現在は、芦(あし)や稲藁を使っている神社もあるようです。
もともとは旧暦の6月末に行われる行事でしたが、新暦となった現在でも日本各地の神社で6月30日、またはその頃に行なわれています。
あれ?ちょっと待って、年末にも見たことあるよ、という方、その通りです!「夏越の祓」は1月1日からの半年分の厄落としですので、さらに半年後の12月末にも同様に厄除けをする「年越の祓」があります。「大祓(おおはらえ)」とも呼ばれるこの二つは対になる行事で、心身を清めてお盆や新年を迎えるための大切な節目の行事とされています。

なぜ茅の輪をくぐるのでしょう?それは、日本神話からきているといわれています。
昔、蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来 (こたんしょうらい)という兄弟のところに、一人の旅人が現れて一夜の宿を求めました。
巨旦将来はたいへん裕福であったにもかかわらず、旅人の貧しそうな汚れた姿を見てとると、「私の家は貧しいので貴方を泊められないよ」と嘘をついて冷たく宿泊を拒みました。困った旅人は仕方なく疲れて重い足を引きながら更に歩いていくと、今度は蘇民将来の家へと辿り着き、再び一夜の宿を求めました。
心優しい蘇民将来は貧しいながらも「長旅でお疲れでしょう。むさ苦しいところですが、どうぞお泊りください」と言って旅人を家の中へ招き、粟の藁で寝床を作り、粟のご飯を炊いて温かくもてなしました。
数年が経ち、旅人が恩返しにと再び蘇民将来の元を訪れました。
なんとこの旅人は、天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟神で、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を倒した素盞鳴命(スサノオノミコト)でした。素盞鳴命は姉神・天照大神の怒りに触れて神々の住む高天原を追われ、北の海に住んでいました。成年になった素盞鳴命は、南の海の神の娘と結婚するために南海へ向かわれる旅に出られ、その旅の途中で寄ったのが蘇民将来の家でした。
「もしも悪い病気が流行ることがあった時には、茅で輪を作り腰につければ病気にかからない」と、蘇民将来に教えました。そして本当に疫病が流行したとき、巨旦将来の家族はみな病に倒れましたが、その教えに従った蘇民将来とその家族は茅の輪で助かったそうです。

この言い伝えから「蘇民将来」と書いた紙を門に貼っておくと、災いを免れられるという言い伝えが生まれました。茅の輪も初めはこのお話のとおり、小さなものを腰に付けるというものでしたが、しだいに大きくなっていき、江戸時代初期になると、大きな茅の輪をくぐって罪や災いと取り除くという神事になりました。
家の玄関に「蘇民将来札」という札を貼り、厄除けにするという風習も現在でも残っています。梅雨の時期から夏にかけては、昔は天然痘などの疫病が流行り、倒れる人々が多かったようです。

夏越の祓では茅の輪をくぐるだけではなく、人形代(ひとかたしろ)に切った白紙などの人形の身体に息を吹きかけ、身代わりとして水に流す儀式も行われます。
茅の輪くぐりのお作法や、輪をくぐる時の神拝詞(となえことば)は、地域や神社によっても違いますので、各神社で確認をしてくださいね。
心と身体を清めれば、幸せが招きやすくなり、さらに多くの幸せが訪れるそうですよ。
今月末は、半年分の心身の穢や災厄をスッキリ落として、清々しい気持ちで夏を迎える準備をしましょう!