1年に1度の日、でも距離は16年!?


蒸し暑く寝苦しい夜が続いています。
ワールドカップロシア大会の観戦で寝不足な方もいらっしゃるのではないでしょうか。

もうすぐ7月7日、七日(なのか)の夕と書いて七夕(たなばた)です!笹や短冊の準備はいかがでしょうか。夏の夜空に輝く織姫の星は「こと座のベガ」、彦星は「わし座のアルタイル」です。もうひとつ、「はくちょう座のデネブ」を加えると夏の大三角を作ることができます。街中からでも明るいこの3つの星は見つけることが出来ます。
地球からの距離はベガまでは25.05光年、アルタイルまでは16.73光年、デネブまでは2,616光年です。天の川の対岸に輝くベガとアルタイルはどのくらい離れているのかといいますと・・・その距離は約16光年です。彦星が織姫に光の速さで会いに行っても16年もかかります。1年のうち、お互いが会えるたった1日を楽しみにしながら過ごして、会うのにもとっ〜ても長い時間がかかる織姫と彦星。7月7日は天の川が晴れて2人が会えますように、と応援したくなってしまいますね。

「織姫と彦星が1年に1度、7月7日に天の川を渡って会うことが出来る」という皆さんがよくご存知のこの伝説は、中国が由来です。7月7日の「乞巧奠(きこうでん)」という行事で、織姫のように機織り(はたおり)や裁縫などが上達するように、とお祈りをする風習が起源と言われています。「乞」は願う、「巧」は上達する、「奠」は奉る・祀るという意味があります。祭壇に針などをお供えして、織姫星に祈りを捧げます。そして機織りだけでなく、芸事や書道など様々な手習いの上達を願うようになりました。やがて、この「乞巧奠」が遣唐使によって日本に伝わると、宮中の行事として取り入れられるようになりました。宮中の人々は桃や梨、大豆、鯛やアワビなどをお供えし、お香をたき、星を眺めながら、楽を奏でたり、詩歌を楽しみました。葉にたまった夜露を「天の川のしずく」と考えて夜露で墨を溶かし、古くから神聖な木とされていた梶の葉に和歌を書き、和歌や裁縫の上達を星に願ったそうです。

棚機津女(たなばたつめ)という女性の登場する行事が日本にはあります。棚機津女とは機(はた)で織った特別な織物を先祖の霊や神様に捧げて、作物の豊作を祈る乙女たちです。この乙女たちが水辺の機屋にこもって穢れを祓い、機を織る行事が行われていました。水の上に棚(たな)を作って機(はた)を織ることから、これを「棚機」(たなばた)と呼び、機を織る乙女を「棚機つ女」(たなばたつめ)と呼びました。笹竹には、神迎えや依りついた災厄を水に流す役目があり棚に飾られました。やがてこの日本の行事と中国の乞巧奠が交じり合い、7月7日の夕方を表して七夕(しちせき)と呼ばれていたものが、棚機(たなばた)にちなんで「七夕(たなばた)」という読み方に変化していき、現在のような形に変化しました。

江戸時代になると五節句の一つとなり、七夕は庶民の間にも広まって全国的に行われるようになりました。人々は野菜や果物をお供えして習いごとの上達を願いました。この頃には、梶の葉のかわりに五色の短冊に願い事を書いて笹竹につるし、星に祈るお祭りに変わっていきました。五色(ごしき)というのは、古代中国の陰陽五行説にちなんだ「青、赤、黄、白、黒」の五色のことで、「木、火、土、金、水」の五つの要素がこの世のものすべての根源である、という説で、それぞれ「木=青」、「火=赤」、「土=黄」「金=白」「水=黒」を表しています。

ところで、皆さんは七夕に流しそうめんは食べますか?
日本では千年も前からそうめんは七夕の行事食なんです。節供には旬のものを食べて邪気を祓ったり、無病息災を願ったりする風習がありますが、夏のそうめんもそのひとつです。そうめんは中国の「索餅(さくべい)」という縄のようにあんだ小麦粉のお菓子のようなものが由来しているといわれています。中国では7月7日に索餅を食べると1年間無病息災で過ごせるという伝説があり、奈良時代に日本に伝わると宮中の行事に取り入れられ、一般にも広がっていきました。やがて、索餅はそうめんへと変化し、七夕にそうめんを食べるようになりました。他には、そうめんを天の川や織姫の織る布の織り糸に見立てて、七夕にそうめんを食べるようになったという説もあります。真っ白いそうめん以外に色が付いているそうめんもあります。これらは、五色の短冊と同じように、陰陽五行説の五色に由来するしているため、厄除けの意味が込められています。

笹の葉の下に真っ白いそうめんを敷いて天の川に、茹でたオクラを薄く輪切りにしてキュウリやハムを星型にくり抜いて夜空の星々に、薄く焼いた卵を短冊形に切って添えてみると、オリジナル天の川の出来上がりです。
七夕の日、笹を飾って短冊に願い事を書いた後は、行事食であるそうめんを食べてみてはいかがでしょうか☆