幸せの黄色いリボンと黄色のお花、父の日の準備はいかがですか?


梅雨入りして以降、折り畳み傘は必須ですね。
お気に入りの傘を差せるので嬉しいこともあります。

5月はゴールデンウィーク、母の日、三社祭や音楽フェスなどの行事が毎週のようにあり賑やかな月でした。6月は祝日もないし大きなイベントも少なそうだし、梅雨に入って先月に比べて気持ちが落ち着いた方もいらっしゃるのではないでしょうか。ですが、ちょっと待って!まだありますよ〜!もうすぐ6月の第3日曜日です。そう、「父の日」ですね!お父さんへの日頃の感謝の気持ちを伝える準備は出来ていますか〜?

母の日は1907年、アメリカのアンナ・ジャービスが母の命日に、母が好きだった白いカーネーションを教会で配ったことがはじまりとされ、1914年にウィルソン米国大統領が5月の第2日曜日を母に感謝する日として記念日にしたことから始まりました。では、父の日はどうでしょう?父の日もアメリカから始まりました。1909年、母の日が出来たことを知ったアメリカのソノラ・スマート・ドッドという女性が、父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と、牧師協会へ嘆願したことがきっかけでした。

ソノラの父親は軍人であったため、1861年に南北戦争が始まると戦地へと召集されました。父親の留守中は母親が女手ひとつで男子5人女子1人、計6人の子供を抱えて働きながら子どもたちを育てていました。1865年に南北戦争が終結し、父親が復員するとまもなく、ソノラの母親は過労が元で亡くなってしまいます。それ以降は、父親が子供たち6人を育てました。ソノラの父親は、再婚することも無く働きずめの日々を送り、末っ子のソノラを含めた子供たち6人全員が成人したのを見届けた後に亡くなりました。ソノラの父親は戦争後の今ほど豊かではなかったアメリカの地で、慣れない家事や子育てと仕事の両立にさぞ苦労をしたことでしょう。母の日の制定を聞いて、ソノラが父親にも感謝の日を!と考えたのは、当然のことではないでしょうか。

ソノラが牧師協会へ嘆願した翌年の1910年6月19日、父の日の最初の祝典が開催されます。ただ、一般に知れ渡るようになるまでには6年の歳月がかかりました。1916年の父の日の祝典で、アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンが演説を行ったことで広く知れ渡ったといわれています。更に50年もの歳月を経た1966年に、アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンが父の日を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を父の日に定めます。「父の日」が、ようやく正式に国の記念日として制定されたのは、6年後の1972年のことでした。
日本で父の日が広まり始めたのは、1950年(昭和25年)頃からと言われています。この頃の日本ではまだまだ認知は低く、一般に知れ渡るようになったのは1980年代です。バレンタインのチョコレート商戦のようにデパートなどが、販売戦略の一つとして父の日をイベント化したことが、一般に広まったきっかけの1つといわれています。

母の日はカーネーションを贈りますが、父の日に贈る花は何かご存知ですか?父の日の花はバラです!父の日の提唱者であるソノラが、「父の日に父親の墓前に白いバラを供えた」ことに由来しています。バラの色は、母の日のカーネーションと同様に、父親が健在の場合には赤色のバラを、亡くなった父親には白色のバラを贈ったといわれています。
ん?あれ?黄色のバラじゃないの?と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。黄色という色はイギリスで生まれました。イギリスには、昔から、「黄色いものを身に着けると身を守ることができる」という言い伝えがあります。この黄色がアメリカに渡って「黄色いリボン」となり、愛する人の戦場での無事と帰還を願うものとなりました。そして、黄色や黄色いリボンは「命に関わる大切な色・愛と信頼と尊敬を表す色」として世界へ広まりました。

日本ファーザーズ・デイ委員会が開催している、「父の日黄色いリボンキャンペーン」というものがあります。幸せや幸福の象徴である「黄色」を、「父の日」のイメージカラーとしています。このことから、父の日のバラと黄色が結びつき、黄色のバラを送る風習が広まったといわれています。
ただし、黄色のバラにはネガティブな花言葉もありますので、気になる方はひまわりなどや別の花、その方のイメージに合った花を贈ってみてはいかがでしょうか。
また、せっかく父の日黄色いリボンキャンペーンというものがありますから、お花の代わりに黄色のリボンで結んだメッセージカードやプレゼントなども素敵ですよ☆